古処誠二と舞城王太郎


※第131回芥川賞候補に舞城王太郎、第132回直木賞候補に古処誠二…と立て続けに選ばれたときに浮かれて書いた文章だったと思います。


古処誠二、私が最も愛する作家の1人。デビュー作「UNKNOWN」を読んだときから「何だか好き」で、「少年たちの密室」を読んだときには戦慄が走ったような覚えさえあります。(記憶というのは得てして美しく改ざんされることは百も承知ではありますが…。)「なんて物語を、そしてなんて文章を書くのだろう」。作品に伴う緊張感に、すっかり虜になってしまいました。
舞城王太郎、私が最も恐れている作家の1人。最初に氏の作品に触れたのは、「世界は密室でできている。」。本作を読んだとき、とてつもなく驚きました。そして「煙か土か食い物」を読んだときには、完全にK.O.されました。「なんて物語を、なんて文章を書くのだろう」。その作品に酔ったように、頭のなかはぐるぐる。


古処氏の無駄を省いた日本語表現は、鋭く研ぎ澄まされたナイフ。それで胸を刺されるような、心臓を抉られるような、そんな感覚。
舞城氏のリズムを持った日本語表現は、原始的な鈍器(それこそ道端に転がっている大き目の石のような)。それでがつんと殴られるような、脳を揺さぶられるそんな感覚。
私からすると、二人の作品は非常に好対照。
気が付くと背後から抱きすくめられているような古処と、土足で正面からドアを蹴破ってくる舞城。
構成って何? 校正って何? の舞城(一見)と、考えつくされた構成とひたすら緻密な校正の古処。
ひたすら地味な古処(失礼…)と、ひたすら派手な舞城。
「動」の舞城と「静」の古処。


共通点は、卓越した文章力。独自の世界を作り上げる、圧倒的なリーダビリティ。目を背けることを許さない、その文章が持つ鋭い眼光。魅力や方向性は180度異なりますが、それでも本質は繋がっているような気がします。極限状態に置かれた人間の心理を、どちらもとてつもなくリアルに描ききる力を持っているのです。まあどちらにしろ、双方とも「計算しつくされた」作品。
どちらも「メフィスト賞」というミステリー畑のエンターテインメント賞からデビューし、しかしその世界だけに留まらず他のジャンルの作品を次々発表し、高い評価を得ています。ミステリー界から飛び出し、文学界などからの注目を集め、大きく羽ばたこうとしているといえるでしょう。その受賞作家のなかでも、抜きん出た存在であるこの2人。(と私は思っている。)
…私の望みは、芥川賞舞城王太郎直木賞古処誠二の同時受賞なのかもしれません。そうなったらこの上なく面白いのにな…。ま、芥川賞を受賞したとしても、舞城氏本人にはあくまで出てきてほしくないんですけどね(笑)。覆面作家はあくまで覆面作家で貫いてほしい。いえいえ、ご本人に興味がないわけではないですよ。


ちなみに、どちらが好みかといわれると、私の好みは圧倒的に古処誠二。しかし憧れを抱くのは舞城王太郎。(何だ? 彼氏にするなら舞城、夫にするなら古処とかそういうノリか? 笑)
古処誠二のような文章を書けるようになりたいと思います。でも、舞城王太郎のような文章を書くことはできないと既に諦めています。あの豊かな発想力にまるで恋焦がれているようです。エログロはダメなのに、表現のエグさにたまにひいているのに、何でこんなに惹かれるのだろう。それは氏の文章がとてつもなく魅力的だからなのだろう。あの文章が持つリズムに、完全にハマっている。恐るべし、舞城王太郎
それでも、作品を選んでしか読まない舞城作品と新作は必ず読む古処作品。愛情の差は結構歴然かも(笑)。