「四季 春」

四季・春 (講談社ノベルス)

四季・春 (講談社ノベルス)

間違いなく、ファンサービスのための本。位置づけとしては「捩れ屋敷の利鈍」とほぼ同じなのでしょう。とりあえず、S&Mシリーズ、Vシリーズを全作読んでいる人向けの作品。良かった全部読んでて(笑)。すっかり森ファンなので仕方ない(?)。
赤緑黒白」を読んだときに感じた印象は間違っていなかったのだと確信できる物語。森氏が描きたかったのは、彼女1人であり、その魅力は私たちに捉えきれないものであるということ。さて、彼女の物語は今後どういう展開を見せるのか…。ずっと見守っていきたいと思います。
…しかし森作品の内容を忘れまくってるんだなあと感じさせられる作品でもありました(苦笑)。

「F」からの森読者で未だに彼の作品に『ミステリー的なサプライズ』を求めている人は、さすがに少ないと思う。S&Mシリーズでは、ミステリー的な驚きと、キャラ物として楽しめる読み易さが同居していた。が、Vシリーズはキャラ物として充分に楽しめるレベルで世界観が完成されており、ミステリーとしての驚きは特に重視されていなかったと思う。どちらかといえば事件には関係ない部分における、キャラクターの秘密や人間関係に関するサプライズが主である。そういった意味で、個人的には今の森作品はミステリーではなくライトノベルに近いのだと思っている。
じゃあ、この四季シリーズ(春夏秋冬あるのでシリーズでいいだろう)はどうだろう。
春を一読した印象は、完全なライトノベルだった。もちろん森作品だからミステリー的な要素もあるし、ミステリー的かどうかはともかくとしてサプライズもある。ただ、四季に関してはその位置付けが、「森読者に対するファンサービス」だと感じた。同じ様にファンサービス的な要素が強かった、『捩れ屋敷の利鈍』が実はVシリーズにおけるターニングポイントであったのと違い、四季は最初から純粋なファンサービスとして書かれたという印象を受けた。だから、物語として読みやすいというところに主眼が置かれていた気がした。
森作品に対して、そういったライトノベル的な部分も求めている。ただ、やっぱりオレが森博嗣に求めるのは、Fを読んだ時に感じたあの緊張感と酩酊感と驚きであり、そういったものが殆ど無くなってしまった最近の森作品はやっぱり何か物足りない。
もう一つ受けた印象は、短いってこと。この作品は1冊の中で数年という長い年月流れる。元々、読中に文章を読み返すことが無い、非常に判りやすく読みやすい文章を書く人だと思うのだが、今回は文体だけでなく作中の世界も流れるように時間が過ぎ去る。一段組みなので実際の文章量もたいしたことが無いため、ホントにあっという間に終わってしまう。「あれ、もう終わり??」って感じだった。しかも内容は真賀田四季の生い立ち(いや、その表現が乱暴すぎるってのはよくわかるんだけど)に終始しているので、小説というよりかは、伝記って方が近いんじゃないだろうか。なんかファンが知りたいミッシングリンクを埋めてるだけという感じがして、内容的にもやっぱりちょっと不満だった。(姫)