「子供たち怒る怒る怒る」

子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫)

子供たち怒る怒る怒る (新潮文庫)

さて、立て続けに感想。長距離(でもないか)移動するのに読む本がなかったので、衝動的に本屋で見かけた本作を購入。
クリスマス・テロル」でのトラウマがあったのですが、その後の文学界からの高評価を見て、彼は変わったのかな? と期待しての購入でした。ええ、期待しての。

…結論。私、この人の作品、決定的に無理っぽいです…。

えー、こんな暴力的表現する人だったの? というか、私、「無意味な死」が受け入れられないから、やっぱりダメだ。暴力も近親相姦もダメな私からすると、そもそもこの人の作品自体、決定的に受け入れられないんだ。ああ、ようやく認識。ごめんなさい。二度と手に取りません。

思った以上に読み易い文体で、実は1日で(移動時間中のみで)読み終えたのですけれど、終始付き纏っていたのは、嫌悪感。拒絶感。どこまでも完璧に、「無理」でした。
西尾維新ばりの思わせぶりさと、舞城王太郎ばりの暴力表現。それぞれ、私はそれぞれの文章、リズムであれば読める。だけれど私は、佐藤友哉氏が表現する世界でのこれらを受け入れることは、できない。どこまでも、拒否反応。

暗く救いのない世界。愛を描こうとしているのか? いや、私には愛をそこに見出すことはできない。だから私はこの世界を受け入れられないのかもしれない。どこまでも、拒絶反応。

私は決して、彼が描こうとしている世界を否定するわけではない。だけど、笑顔でそれを受け入れられるだけの許容範囲を持っていない。期待していただけに、どこまでも絶望的なその世界に、私自身がひたすら絶望した。私が小説に求めているものは、なにひとつそこにはなかった。

さようなら、佐藤友哉。私はいま、改めて氏の作品との決別宣言をします。「イタイ」でもない。「ツライ」でもない。ただただ、私には「無理」だ。氏の描く世界をわざわざ2次元から自分の中に取り入れる気はない。私が求める要素が、なにひとつないだけ、アンマッチなだけだ。
彼が今後、世間からどのような評価を受けるのか、それには比較的興味がある。今後の成長次第では、もしかしたらどこかのタイミングで、再度氏の作品を手に取るかもしれない。少なくとも、本作に収められた短編のうち「死体と、」の手法や、「子供たち怒る怒る怒る」での描き方には、魅力を感じた部分がないでもない。だけれど、当面は、氏の作品に私が近づくことは、ない。
最後まで本作を読むことができたのは、ただひたすらに「移動時間で他にすることがなかったから」。そうでなければ、きっと途中で投げ出していただろう。とりあえず、口直しに何か別の作品を読みたい。べとべとした嫌悪感。ああ、こんな印象を私自身に与え、こんな文章をつらつらと書く羽目になったという意味では、本作が私に与えた影響はある種大きい。

とりあえず、ポップさを私にください。ということで、なぜか私が今日本屋で買ったのは、↓なのでした。

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

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